2013年01月08日

ダーリンメモ 2013/01/07

・たとえば、じぶんがクルマだったとしたら、
 走りたいと思うんだ。

 速く、すっごいスピードで走りたい。
 わぁっとみんなをびっくりさせるような速度で、
 走り回りたいと思うんだ。
 
 ずっと、どこまでも遠くまで走りたい。
 ガソリンの最後の一滴がなくなっても、まだ、
 走り続けていたいと思うんだ。

 たくさんの人たちを乗せて運びたい。
 憶えたての歌を歌うこどもたちとか、
 何百人でも乗せて走りたいと思うんだ。

 たとえば、じぶんが歌だったら、
 じょうずでも、へたでもかまわないから、
 みんなに歌ってもらいたいと思うんだ。

 たとえば、じぶんが野うさぎだったら、
 地面にいっぱい穴をほって、いっぱい逃げたり、
 いっぱいはねたり、いっぱいこどもつくったり。
 野うさぎっぽいこと、いっぱいしたいと思うんだ。

 たとえば、じぶんが生まれたての人だったとしたら、
 なにができるのかわからないままに、
 できることを探したり増やしたりしながら、
 なにかやらせて、なにかやらせてと動くんだろうな。
 
 クルマでも、歌でも野うさぎでも人間でも、
 できることはぜんぶやったなぁと感じるのが、
 いちばんのあこがれだよなぁ。
 
 このからだを、このこころを、この知恵を、
 この思い出を、このいのちを、
 まるまるまるごと使い切れたら最高だよな。

 できるかもしれないことは、したい。
 できることは、もっとじょうずになりたい。
 生まれたての人のようにね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
生まれたての人だったとき、ものすごく生きたがってたね。
posted by DOKSO at 01:21| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月26日

ダーリンメモ 2012/09/26

気仙沼のおじいさんが、きっぱり言いましたっけ。
 「津波がどれだけ恐ろしいといったって、
  戦争のほうが何倍も恐ろしかった。
  つらいつらいと言ったって、
  戦争のときのほうが、ずうっとつらかった」
 ぼくは、それを聞いてて、
 簡単に「そうですよね」とは言えませんでした。
 目の前に津波の被害があるところで、
 「戦争のほうがつらいですよねぇ」なんて、
 旅人が言えるわけはなかったですから。

 でも、このことばは、あちこちで何度も聞いてました。
 戦争を体験した方々は、口々に、
 「あのときに比べたら」と、教えるように言いました。
 そうなのか、そうなんだろうなと思うと同時に、
 ずっと「どうしてなんだろう?」と考えていました。
 
 考えて、わかったようなことは言えないけれど、
 この「戦争」という文字を「人間」に置き換えると、
 ずいぶん怖さが実感できるような気がしました。
 
 たしかに、津波はある日一度襲っただけですが、
 戦争は、毎日続きます。何年も続いたりします。
 (人間がそれをやめないからです)
 津波のとき高台に逃げて助かった人がいたけれど、
 戦争は、隠れても探しだし、逃げても追いかけてきます。
 (人間は、そういうことができますから)
 しかも、追いかけてくるのは、敵ばかりではない。
 味方だと思っていた「正しい人たち」が、
 考えのちがうものを、探しだして吊るし上げてくれます。
 (人間は、そういうこともする)
 そんな日々が、ずっと続くのが戦争だとしたら、
 そりゃぁ「津波より恐ろしい」と言うのもわかります。
 
 津波が怖くないなんて、言ってるわけじゃないのですが、
 ほんとうに戦争は恐ろしいものなんだと思います。
 凝り固まった人間が、許さない人間が、
 じぶんの考える正しさのために、なんでもする‥‥。
 海は、翌朝、すっかり穏やかな海に戻ったらしいけれど、
 人のすることは、そうは行くもんじゃない‥‥。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人間のいいところも、たくさんあると知ってるからこそね。
posted by DOKSO at 20:16| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月08日

ダーリンメモ 2012・09/08

「たのしみ」っていいなぁ。
 いいもんだなぁと、つくづく思うのです。
 
 「たのしみ」というものを、
 あんまり大事じゃないと思っている人もいますが、
 たぶん、そういう人にも「たのしみ」はあるんです。
 
 「たのしみ」って、たとえば、
 明日の献立だったりします。
 好きな食べものが食べられるという「たのしみ」。
 それがあるだけで、前の日も、その日もうれしいですし、
 その「たのしみ」があると、
 人にもやさしくできるように思います。
 
 会いたかっただれかに会えるという「たのしみ」。
 その人の笑顔を想像するだけで、
 ひょっとしたらよだれが出ちゃうかもしれない。
 そんな「たのしみ」を持っている人は、
 まわりの人たちをたのしくさせてくれそうです。
 
 ときには、つらそうにも見える「たのしみ」もあります。
 負けるかもしれない試合がある、なんていうのは、
 「たのしみ」に思えないかもしれない。
 でも、たぶん、明日になれば、
 試合そのものが「たのしみ」だったってわかります。
 
 「たのしみ」があれば、明日がある。
 毎日「たのしみ」のある人は、明日が好きになれる。
 そういう日々があったことを、ぼくも思いだします。
 いまのぼくや、ぼくらは、
 じぶんたちに「やるべきこと」ばかりやらせていて、
 「たのしみ」をつくっていないのかもしれません。
 ビールの大好きな人が、
 夕暮れどきにビールについて語るような顔で、
 ぼくらは、もっと「たのしみ」を見つけましょうか。
 
 ごほうびとしての「たのしみ」でなくとも、
 「たのしみ」を「ただのたのしみ」としてたのしむ。
 そういう、幼いころのような「たのしみ」を、
 おじさんも、おばさんも、おねえさんも‥‥ね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
明日の「たのしみ」があれば、明日も生きていたいものね。 
posted by DOKSO at 16:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月24日

ダーリンメモ 2012/7/24

なんか宮沢章夫のエッセイみたいだけど面白い。

まいったなぁ。
 ぼくは、どうやらたまに寝言を言うらしい。
 それも、むにゃむにゃとかじゃなくて、
 家人の言によれば「口跡もよく、明言という感じ」。
 苦笑しながらという風情のときもあるし、
 真剣に言っておくぞというような調子もあるという。
 
 いちおう、最後の寝言として記憶されているのは、
 「つうきせい(通気性のことかと思われ)」である。
 空気の通りのことについて、ぼくは寝言した。
 (ん、「寝言する」という言い方は気に入ったぜ)
 じぶんが「通気性」と預言していたことについて、
 ぼくは「受け容れよう」と決めたのだった。
 その日から、生きることのなかに、
 「通気性をチェックする」という一仕事を加えた。
 企画にしても、組織にしても、服や建物についても、
 「通気性は大丈夫かな?」と考えることにしている。
 これは、おおいに善いことだったと思う。
 
 そして、昨日だ。
 「また、寝言を言った」と伝えられた。
 言われてもぼくはあわてない。
 女性の名だったり、下品な単語であったりしても、
 眠ってる人間のすることだ、知ったことではない。
 しかし、あわてないとはいえ、気にはなる。
 「なんて言ってた?」
 「けっこう強い口調で、『もう、飽きた!』って」
 ‥‥そうか、そんな身も蓋もないことを寝言したか。

 「もう、飽きた!」‥‥東北の旅をしていて
 「もう、秋田!」と言ったのかもしれないけれど、
 たぶん、そうじゃないんじゃないかなぁとは思う。
 
 眠っているおれよ、もうちょっとヒントをくれ。
 なにに「飽きた」のだ。
 起きてるおれは「飽きた」ことをガマンしているのか?
 それとも、じぶんに関係の薄いなにかに「飽きた」のか。
 いちばん知りたいのは、じぶん自身だっつーの。
 「人生に飽きただったりして」と冗談を言う唇が寒い。
 次の寝言が出るまでは、「飽きた」のチェックをします。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
飽きたを100万回言ったあとに、夢の領域が見えるのだ。
posted by DOKSO at 15:56| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月07日

ダーリンメモ 4/7

 
・ものすごく歌のうまい人っていますよね。
 そういう人って、ことばの意味なんかわからないような
 幼児のころから歌がうまかったりする。
 「どうしてそんなにうまいの?」と訊いたって、
 本人だって、どうしてだかわからない。
 
 同じように、踊りのうまい人だっています。
 運動のものすごく得意な人もいます。
 どうしてっていうくらい絵のうまい人もいます。
 表情が豊かでつい見ていたくなるような人もいます。
 人を笑わせるのがすっごく上手な人もいます。

 みんなすごい才能だと思います。
 なかなか比べるのもむつかしいし、
 数字に置き換えにくいことなのですが、
 あきらかに、「すてきなもの」として存在してます。
 
 そして、その「すてきなもの」は、
 時にはプロのアーティストとして評価され、
 また時にはプロのアスリートとして認められたりします。
 だけど、そのことでめしを食っていくほどじゃないけど、
 そういう「才能」が、たっぷりある人はたくさんいます。    
 ただ、仕事になりにくいので、
 眠ったままになったり、
 そのまま錆びててしまうことも多いんですよね。
 
 インターネット以後というのは、ここらへんの状況を、
 ものすごく変えてくれたんじゃないでしょうか。

 プロにはならないけど、ものすごく歌がうまい人は、
 いまの時代だったら、世界に向けて歌えますよね。
 それで食っていくというわけじゃなくて、
 「すてきなもの」を分けあえる、それで喜んでもらえる、
 けっこうな拍手やお礼のことばももらえたりもする。
 辣腕のマネージャーやら大きな代理店もいらない。
 インターネットのすごい技術も必要なわけじゃない。
 すっごいことだと、あらためて思うんです。
 「チャンスがない」なんてグチ言ってられないし、
 「他に仕事があるから」なんていいわけもできない。
 いわば、幸運がごろごろ転がってる時代じゃないのかな。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あなたもぼくも、ほんとは世界とつながってるんですよね。
posted by DOKSO at 16:00| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。