2012年09月08日

ダーリンメモ 2012・09/08

「たのしみ」っていいなぁ。
 いいもんだなぁと、つくづく思うのです。
 
 「たのしみ」というものを、
 あんまり大事じゃないと思っている人もいますが、
 たぶん、そういう人にも「たのしみ」はあるんです。
 
 「たのしみ」って、たとえば、
 明日の献立だったりします。
 好きな食べものが食べられるという「たのしみ」。
 それがあるだけで、前の日も、その日もうれしいですし、
 その「たのしみ」があると、
 人にもやさしくできるように思います。
 
 会いたかっただれかに会えるという「たのしみ」。
 その人の笑顔を想像するだけで、
 ひょっとしたらよだれが出ちゃうかもしれない。
 そんな「たのしみ」を持っている人は、
 まわりの人たちをたのしくさせてくれそうです。
 
 ときには、つらそうにも見える「たのしみ」もあります。
 負けるかもしれない試合がある、なんていうのは、
 「たのしみ」に思えないかもしれない。
 でも、たぶん、明日になれば、
 試合そのものが「たのしみ」だったってわかります。
 
 「たのしみ」があれば、明日がある。
 毎日「たのしみ」のある人は、明日が好きになれる。
 そういう日々があったことを、ぼくも思いだします。
 いまのぼくや、ぼくらは、
 じぶんたちに「やるべきこと」ばかりやらせていて、
 「たのしみ」をつくっていないのかもしれません。
 ビールの大好きな人が、
 夕暮れどきにビールについて語るような顔で、
 ぼくらは、もっと「たのしみ」を見つけましょうか。
 
 ごほうびとしての「たのしみ」でなくとも、
 「たのしみ」を「ただのたのしみ」としてたのしむ。
 そういう、幼いころのような「たのしみ」を、
 おじさんも、おばさんも、おねえさんも‥‥ね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
明日の「たのしみ」があれば、明日も生きていたいものね。 
posted by DOKSO at 16:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月19日

ダーリンメモ 2/19

これはメモるよね。


全体ミーティングなどで、
 みんなが共有しておいてほしいことがあると、
 ちょっとまとめたメモを配ることがあります。
 やがて、どこかに埋もれてしまうかもしれませんが、
 誰かがひとりでも、ちょっと憶えていたら、
 役に立つかもしれないことを、記してあります。

 「ほぼ日」にも、新しい人が入ってきてますから、
 ずっと前に配ったメモの内容は、
 その人たちに伝わってないことになります。
 そこで、「先輩」がメモをメールで回すことになります。
 そのメモを読んで、書いた本人であるぼくが、
 「こりゃ、いいや。これで原稿にしよう」とね、
 思ったりすることも副産物としてあるわけです。
 
 ◆なにかを考えるための10カ条
 
  ひとつのことを考えるとき、

 1.そのことの隣りになにがあるか?
 2.そのことのうしろ(過去)になにがあったか?
 3.そのことの逆になにがあるか?
 4.そのことの向かい側になにがあるか?
 5.そのことの周囲になにがあるか?
 6.そのことの裏になにがあるか?
 7.それを発表したら、どういう声が聞こえてくるか?
 8.そのことでなにか冗談は言えるか?
 9.その敵はなにか?
 10.要するに、それはなにか?

 というものです。
 そのことが「缶コーヒー」でも「合コン」でも、
 なんでも、いったんここに入れて考えてみるわけです。
 意外に気がついてないことや、可能性や欠点が、
 見えてきたりすることがあるものです。
 
 ぼくも、いま考えている「そのこと」について、
 このメモを利用して、しばらく考えてみます。
 うまく行くと、最後の10「要するにそれはなにか?」に、
 すとーんと答えられたりすることがあるんですよね。
posted by DOKSO at 18:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月01日

ダーリンメモ 2/1

川勝正幸さん死亡のニュースを知った夜に読んだ。


気のせいなのかもしれないのだけれど、
 こうして、冬に、とても寒い日が続くと、
 人が亡くなったというニュースが多くなるように思う。
 寒さが、直接に、人のいのちを奪っている
 ‥‥というわけじゃないのだろうけれど、
 とても寒い日を感じているときには、
 遠くへいった人の話を、よく聞くように思えるのだ。
 
 生まれて、そして死ぬということは、
 誰にもかならずついてくることなので、
 それを格別に悲しむことはないという言いかたもある。
 そうなんだけれどね、それをそのまま受け容れるのは、
 ちょっとできない相談だ。
 「もういいや」と思うまで生きて死ぬ、という人も、
 ひょっとしたらいるのかもしれないけれど、
 たいていは、生きてきたこの世に、
 少なくない未練を残して旅立つのではないか。
 生きることそのものは、腹が満ちるようにはいかない。
 
 しかも、遠くへゆく人は、
 さよならの瞬間を知らぬまま旅立ってしまう。
 死について考えることは、
 なんとも、解決のしようもないことばかりで、
 どうどうめぐりしているばかりだ。
 
 ずいぶん寒い日が続くね。
 こればかりなら、言える。
 いくつものさよならが、寒さのなかにある。

・昨年の12月から今年の1月になって、
 カレンダーを取りかえたはずなのに、
 まだ一年経ったという実感がないままです。
 どうも、ぼくのこの一年は、
 三月のあの日から数えているように思います。
 長い時間が過ぎて、ようやく二月になりました。

・いまさらながら、「げんきでやろう」です。
 バカみたいと思われようが、
 元気でなにをしたいかが問題なんだ言われようが、
 「おまえも、げんきでやろう」と言いたい冬です。
posted by DOKSO at 23:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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