2012年03月22日

ダーリンメモ 3/21

・大人の言うことって、いいかげんだなぁと、
 多くの青少年は思うものです。
 一生愛していこうと決めた女性にふられて悲しんでたら、
 「もっといい娘が出てくるよ」だとか、
 「初恋は実らないほうがいいんだ」とか、
 わけのわからないことを言いよりますからね。
 
 「もっと失敗しろ」とか、なにそれ?
 「急がばまわれ」って、理屈に合ってないじゃん?
 「時間が解決してくれる」なら、することないだろう?
 とか、まともなことを言うと、
 「おまえも、いずれわかる」って煙に巻くんですよね。
 
 そして、よくよく聞いてみると、
 そういう大人たちも、じぶんが若いころには、
 大人に向って「いいかげんだなぁ」と言ってたらしい。
 とんでもない昔々から、
 「近ごろの若者はだらしがない」というご意見が、
 お年寄りのなかから聞こえていたらしいけれど、
 同じように「大人って、いいかげんだ」という声も、
 若い人たちはあげていたことでしょう。
 
 で、いまさら、ぼくは思ったのですが、
 若いときって、トーナメント戦のように生きてるんです。
 そして、誰でも、そのトーナメントで何度も敗退して、
 「おいおい、これじゃ出番がなくなっちゃうよ」と、
 生きることはリーグ戦なんだと、ルール変更するんです。
 そういうことなんじゃないかなぁ。
 「おまえは、どうなんだ?」と訊かれたらですね、
 ぼくはもう、リーグ戦ですらないと思っています。
 勝ちも負けもないことだらけ、引き分け、無効試合、
 観客乱入、試合続行不可能、共倒れ、両者勝利‥‥etc。
 そして、それがつまらないかというと、逆でね。
 このぐずぐずっとした不定形で奇妙な感じが、
 実はずいぶんとおもしろいもんなのです。
 ‥‥なんて書くと、「いいかげん」よりたちが悪いか。
 
 負けに見えても出場できる、勝ってもなんの保証もない。
 だけど、苦しくてもたのしくても出場だけはしていたい。
 そうしたら、やっぱり永遠の「リーグ戦」でしょう?

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
よく見て、あちこちで新しいことがはじまっていますから。
posted by DOKSO at 07:21| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月20日

ダーリンメモ 3/20

・<吉本隆明さんのやってきたこと。>

 ずうっと、大多数の「うまいこと言えない」人々を、
 応援し手伝おうとしてきた。
 ほんとうは、じぶんが「うまいこと言えない」人だった。
 「うまいこと言えない」人が、うまいこと言えたとき、
 世界は「ほんとう」を見て、凍りつく。
 
・「うまいこと言う」のが仕事であったり、
 「うまいこと言う」ことで、
 じぶんを有利にしようとする人たちに、
 「うまいこと言えない」人たちが
 惑わされないようにするための番人でもあった。
 
・「うまいこと言えない」人たちだって、
 じぶんの商いの場面では「うまいこと言う」し、
 生活を豊かにするための「うまいこと言う」場面なら、
 いくらでも持ちあわせている。
 ものを拵えることも、恋し睦むことも、
 「うまいこと言う」のが仕事の人たちよりも、
 ずうっと「うまくやれる」のだから、
 馬鹿にしていたら痛い目に合わされるよ、えっへっへ。

・「これまでやってきた仕事を、
  ひとつに繋ぐ話をしてみたい」と、
 晩年『芸術言語論』と題した講演をまとめた。
 提案してきたとき、まだこのタイトルはなかった。
 よく見えない目で天空を仰ぎ、そこで語ったのは、
 「沈黙=言わない・言えない」の尊い価値だった。
 「うまいこと言えない」人たちに、
 それを伝えたかったのだと思った。
 
・ずっと「うまいこと言えない」ことは、弱さだった。
 大人の前で子どもは、男の前で女は、国家の前で民は、
 人間の前で犬猫は、知識の前で非知は、弱いものだった。
 そして「うまいこと言う」ことは、武器であった。
 しかし、その弱さを蔑ろにしたことこそが、
 武器を使う人間の弱さであり、落し穴なのである。
 ほんとうは、世界は、まるっきり
 「ひっくりがえし」なのだと、吉本隆明は言い続けた。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
吉本さんは、骨と煙になりましたが、そこここにいます。
posted by DOKSO at 19:55| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月17日

ダーリンメモ 3/16



●ツイッター
RT @itoi_shigesato: 業績だとか功績だとか役割とか影響力とか、そういうことはどうだっていいんですよね。おかしかったとか、やさしかったとか、へんだったとか、かわいかったとか、そういうことだけが大事なんだと思います。やがてぼくが死んだときにも、そういうこといっぱいしゃべってほしいです。すけべだったとかさ。


●ほぼ日
吉本さん。
 こういう日がくることは、ずっとわかっていました。
 ご本人といっしょに、そういう日のことについて
 話したことも、何度かありましたよね。
 「町内会で、小さいテントみたいなものを借りて、
  簡単にやってもらえたら、それがいちばんいい。
  吉本家の墓は、この駅で降りて、
  入り口からこうしてこうして行けばわかります。
  途中に誰それの墓があるから、
  それを目印にすればいいや」
 なんて事務的なことを、伝言のように聞いていました。
 「死っていうのは、じぶんに属してないんですよ。
  じぶんは死んじゃうんで、わからねぇから、
  家族とかね、周りが決めるものなんです」
 死んでやろうかと思ったときそのことに気付いた、
 と、闘病がはじまったころに言ってましたよね。
 
 ぼくは、何年も前から、
 吉本さんがこの世から亡くなることを、
 惜しまないようにしようと、じぶんを慣らしていました。
 だから、お会いするごとに少しずつ少しずつ、
 そっちの方に近づいている兆しを見つけても、
 わりあいに平気でいたつもりでした。
 病院に入られてからのお顔や姿も、
 しっかり目では見ていられました。
 前回は、意識がなかったように見えました。
 見てつらかったけれど、落ち着いていたつもりです。
 
 ただ、ほんとうに帰ってこない日が来るとは、
 思っていなかったのかもしれませんね。
 吉本さんのいない世界に生きていることを、
 ぼくはさんざん練習してきましたから、平気です。
 あとは、とても健康な悲しみばかりです。
 思っていたのと全然ちがって、ずいぶん悲しいです。

 誰かが亡くなったとき、あんまりことばはでません。
 こんなふうになにか言うことは、初めてです。
 まだ、吉本さんに聴いてもらえてると思って、
 ぶつぶつ言ってるのかもしれません。
 「ありがとうございました」とか
 過去形で言うのはやめておきます。
 ぼくがそっちに行ってから、そこでお礼を言います。
 でも、中締めっていうのもありますものね。
 じゃ、また。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
人は変わって変わっていかなきゃいけねぇなぁと思うです。
posted by DOKSO at 09:37| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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