2012年01月27日

ダーリンメモ 1/27

「激しく同感。
楽器の例えとか唸るね。」



「自前」とか「自腹」とか、
 それなりにじぶんの身を削って得る経験を、
 もっとしたほうがいいと思うんだよね。
 
 レシピとか、マニュアルとか、レビューとか、
 体験記とか、ランキングとか、
 なにかをしようと思ったり、使おうと思ったりすると、
 参考にできる情報が山ほどある。
 だから、なんにもしてない、手に入れてないうちから、
 「あれはいい」だの「これはこういう欠点がある」だの、
 すっかり知ったような気になれるわけだ。
 
 どんなものごとにも、長所と短所があるし、
 人にはそれぞれの好みもあるから、
 どれほどあらゆる情報を集めて検討したとしても、
 誰でも納得できるひとつの結論なんてものはない。
 それに、ものごとには、
 受け手の側の技術ってものもあるからね。
 どんなに優れた楽器を買ったって、
 演奏の腕がなければ、いい音楽は奏でられないわけでさ。
 
 比較検討、情報精査、最良の選択‥‥
 なんてことばかり、やってるのってケチくさくないか。
 「転びたくない一心で、全力で走らない」みたいな感じ。
 もっと損しろよ、と、ぼくは思うんです。
 買った本や映画がつまらなかったとか、
 行ってみた遊び場でおもしろくなかったとか、
 手に入れた家電があんまりよくなかったとか、
 失敗したり損したり、じぶんの裁量でやろうよ、もっと。
 まぁ、選んだ恋人がろくでもなかった
 ‥‥なんていう厳寒のケースも含めてさ、
 傷や痛みをある割合で引き受けたやつのほうが、
 損はしているかもしれないけど、心がでかいと思うんだ。
 
 ま、傷を負うのが目的ってわけじゃないんだけど、
 じぶんの人生は、「自前」で「自腹」だろう。
 資料だかデータだかばっかり凝視していたら、
 どれほど「失敗を避けられる」としても、
 「自前」の「自腹」のおもしろさがないよねー。
 失敗は成功のもとって、ほんとにほんとなんだぜ。
posted by DOKSO at 11:18| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月20日

ダーリンメモ 1/19

この書き出しから、なにげに親鸞の宣伝になる辺り
さすがです。



昨日、ほんとに「ふと‥‥」思いついて、
 <じぶんで選べないことは、その人のせいじゃないです>
 と書き記しました。
 これは、吉本隆明さんがなにかのときに、
 呼吸でもするように言ったことばです。
 生まれた時代や生まれた国、どちらもじぶんで選べない。
 肌の色、からだの大きさやかたち、
 そして兄弟やら両親も選べません。

 親しい人どうしが、たがいに、
 からかいあったりすることはあるかもしれませんが、
 じぶんでどうしようもないことで、
 責められたり不利益を受けたりするのは、
 あってはいけないことだと思います。
 
・もうちょっとだけ広げると、
 いかにも「じぶんで選べる」ように見えて、
 じつは「じぶんで選べない」こともたくさんあります。
 ものしりであることとか、教養があること、
 たくさん本を読んでいることなどを、自慢する人や、
 ものを知らない人を簡単にバカにしようとする人が、
 なんとなく気持ちわるいのは、
 教養を得るための時間や環境があったことを、
 勘定に入れてないからだと思います。
 ほんとに教養のあるかっこいい人は、
 ものを知らない人をバカにしたりしません。
 いや、あらゆる人から学ぼうとします。
 
・ま、こういうふうなことを言うと、
 どこかに「じぶんはどうなんだ」ということになって、
 さんざんボロが出るのは目に見えているのですが、
 ものを知らないとか、ものを言わないとか、
 そういう人が否定されるような考え方は、
 ほんとうのよさを持てないんだよなぁ、と、
 このごろ、つくづく思うのです。
 中世に生きていた親鸞さんが、
 「南無阿弥陀仏と言うだけで、誰でも」と言ったのは、
 修業を積んだとか、熱心に勉強したとかじゃない人を、
 まるごとみんな肯定したという意味で、
 かっこいいなぁと思えるんですよねー。
posted by DOKSO at 09:28| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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