2011年12月28日

ダーリンメモ

「人によろこばれる」ということは、
 人間にとって、もう「本能」と、
 言っていいものじゃないでしょうか。
 
 「ありがとう」ということばを、
 たくさんの人たちが、あんなに好きなのも、
 「人によろこばれる」ときのことばだからでしょう。
 
 「ほぼ日」のなかでも、よく、冗談半分に
 「おれたち、ほめられたらなんでもしちゃうな」
 とか言いあっています。
 
 人間といっしょにするなとも言われそうですが、
 犬も、「おお、よくできたねー」という
 飼い主のよろこびの声をごほうびにして、
 いろんなことができるようになります。
 最近うちの犬は、散歩コースを引き返すポイントで、
 「ターン」と言うと素直に帰るようになったそうです。
 
 「人によろこばれる」仕事をしているという実感は、
 働くことをとてもうれしいものにしてくれます。
 叱られ、怒鳴られておぼえていく仕事も、
 (ぼくにはわからないけれど)あるのかもしれませんが、
 なにが「よろこばれる」ことなのか、
 だんだんわかっていく過程のほうが、
 のびのびした上達への道のように思えます。

 「雇用」ということばが、よく使われていて、
 うん、それはもう、ほんとうに大事なことだと思います。
 ただ、このごろ思うようになったんです。
 職の数と、人の数が合うだけじゃ、
 ほんとうの「雇用」にはならないんですね。
 むろん、職を持つというのは
 生活の手段でもあるのだけれど、
 同時に「人によろこばれる」という
 「本能」を満たしてくれるものでもあると思うんです。
 「人によろこばれない」仕事をしているのは、つらい。
 反対に、「人によろこばれている」という実感があれば、
 かなりの仕事は、やれるものなんじゃないかなぁ。
 気仙沼に通うようになって、特に思っていることです。
posted by DOKSO at 00:22| Comment(0) | itoi | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月01日

ダーリンメモ 11/30

スゲー良い事いいそうなのに、すんぜんで終るのが残念。


・「誰よりも先に、なにかをする」
 ということには、価値が生まれます。
 「最初に、これをやった」ということで、
 人々は称賛しますし、作品や商品も認められるでしょう。
 
 ただ、これは、多くの場合、
 その人の力が生みだしたものじゃなかったりします。
 「先に」なにかをすることで得たものは、
 その「先に」の部分の効力に期限があります。
 「先に」に続いて「次から次に」
 同じようなものが続いてくるので、
 見分けがつかなくなってくるからです。
 
 「あれは、おれが誰よりも早くやったんだ」
 と自慢したいようなことは、誰にもありそうです。
 ぼくにも、ちょっとはありますね。
 でも、それは、やがて埋もれていく価値です。
 誰が最初にやったかに、意味がないわけじゃない。
 でも、それは、どうだってよくなっちゃうんです。
 
 「なにかを、最初にやってヒットした人」は、
 「ヒットを生み出した人」として認識されますから、
 さらに「ヒット」を生みだせるのではないかと、
 人々は期待します。
 しかし、また「新しいことを最初にやる」には、
 新しいことの仕入れが必要なんですよねぇ。
 でもですよ、そんな
 「新しいけど、まだ誰もやってないこと」なんて、
 ひょいひょいと転がってるはずもないでしょうよ。
 「先にやる」ということの限界は、
 あんがい、早くやってくるものです。
 
 「あいつの情報は、いつも新しい」というようなことも、
 たくさんのことを「先に知っている」という意味です。
 ずっと「先に」を維持していく必要が生じます。
 先も後もなく、古くもならない「よさ」を、
 どういうふうにつくり続けるか、
 そのことが、大事なんだよなぁとしみじみ思います。
 ‥‥というようなことを、
 社内の雑談ミーティングで、話しておりました。。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
犬と猫と人間のはなし‥‥報告とお願いです。よろしくね。
posted by DOKSO at 00:23| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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